もたいさんのパンクスピリッツとともに:荻上直子さん


2007年11月3日、千葉大学で荻上直子さんのトークショーがあった。千葉大学工学部出身の映画監督で、作品には《バーバー吉野》《かもめ食堂》《めがね》がある。映画の中身についてサステナブルデザインという観点から考察したいこともあるが、ここでは、荻上さんから教えていただいた、学生時代から映画監督になるまでの経緯、日頃心掛けていることや実践していることを書き留めておこうと思う。


千葉大学時代は、本人曰く「超遊んでいて何もしていなかった、昼間からビールを飲むような学生」だったそうである。映画にはまだ興味がなく、写真と音楽系のサークルに所属。当時は写真家になりたくて、4年生の頃には写真をたくさん撮って、パラパラ写真にしたり、校舎にプロジェクションしたりして遊んでいて、それからもっと動いたら面白いかもと思って、映画に興味を持つようになったらしい。

そこで、映画といえばハリウッドだろう、と1994年から渡米、南カリフォルニア大学大学院映画学科に留学。スパルタな授業の中で、熱心な脚本の先生がいたことから脚本を書くのが好きになり、その脚本で映画をつくりたい、監督になって映画を撮りたいと思うようになる。アメリカ留学中は、セリフなしの8ミリで撮影した短編映画などを「3週間に1本」のペースで、「フットワーク軽く、どんどんどんどん」撮り続けたそうである。

2000年に日本へ帰国。2001年に自主制作映画《星ノくん・夢ノくん》が第23回ぴあフィルムフェスティバル/PFFアワードで音楽賞を受賞。第13回のPFFスカラシップ監督に選ばれ、劇場公開映画を制作することになる。プロデューサーら8人対1人の脚本の面接で、まだ脚本になっていなかった別の撮りたい作品について口頭で紹介すると、そっちでいこうということになり、「脚本が面白くできれば、これはいけるな」という確信を持ったという。その脚本が《バーバー吉野》(2003)だった。

次に制作したのは《恋は五・七・五!》(2004)という映画。映画監督を自身のプロフェッショナルにするために、どういう状況でもいいから次に繋げたいという想いがあった。その後、日本初オールフィンランドロケの《かもめ食堂》(2006)、鹿児島県の与論島で撮影された《めがね》(2007)へと作品は続いていく。


荻上さんが映画を撮る上で特に心掛けていることは2つ、「映画の世界観をスクリーンのフレームの中だけにおさめないこと」と「突き抜け度を意識したシーンをひとつは入れること」。その他にも、自然に、時には狙って、「このシーンは私」という印をつけるようにしているという。その表れが、あのゆったりのんびりとしながらも淡々と流れていく展開や、食べものや空気が本当においしそうに映し出される表現につながっているのだろう。

映画というものは大勢の共同制作で出来上がる。監督をする上で気を付けていることは、厳しく指示するのではなく可哀想だからやってあげようかという気持ちにさせること、低姿勢を崩さず何方に対しても敬語で話すこと、全員の名前を覚えること。「どれも当たり前のことですが」と荻上さんはおっしゃっていたが、当たり前のことを当たり前にすることほど難しいことはない。

映画監督になる方法は様々だから、それぞれ自分の方法を見つければいいが、才能で勝負した方が良いと語る。とにかく脚本をいっぱい書いていたこと、その引き出しの多さが決め手だったと振り返る。その脚本のために、ほんとうに自然に、ネタや日記、時には感情を「絶対に落とせないネタ帳」に書き留めるようになって、「いつも練って、いつもいつも考えている」そうである。それは、寝ていても「ノートに書かなきゃ」という悪夢を見てしまうくらいらしい。また、後で聞いたのだが、本人曰く「酒飲み」だが、考えを練りあげる時はさすがに酔っぱらっていない時だそうである。


精一杯生きることに加えて、プロフェッショナル(専門職)になるためには、常に自分なりの積み重ねとその蓄えが大切である、とあらためて感じた。それが、その人の仕事や作品だけでなく、人物像や生き様などの全てに顕著にあらわれてくる。

津田和俊 2007年11月5日

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